庖丁どっとこむ《包丁》 本場・堺より直送!【庖丁どっとこむ】

 
 
        天然砥石TOP 産地と種類 歴史 天然砥石と堺和庖丁

  天然砥石の歴史
  天然砥石と刀剣
室町時代から徳川幕府にかけて本阿弥家(※)が刀剣の鑑定をするかたわら砥石山を支配するようになってから、幕府への上納以外の物を販売できるようになり、庖丁やかみそり、ハサミなどの日用刃物や大工道具のカンナやノミ、ナタなど、幅広く使われるようになり産出量も増えていった。この頃、京都の丹波各地から滋賀まで鉱山は広がっていった。
  本阿弥家(※)について、本阿弥家は代々刀剣鑑定の名家

鑑定・目利きを職業とするのが確定できるのは、室町幕府の足利将軍に同朋衆としてお仕えしたのが本阿弥家が最初だと言われています。 刀剣研磨、目利きを本職とし、将軍家の刀剣管理全般を担っていたようです。
有名な本阿弥光悦(※)もこの一族です。

(※)本阿弥光悦(ほんあみこうえつ1558〜1637)
1558年京都に生まれる。安土桃山・江戸時代初期に活躍した芸術家。
松花堂昭乗、近衛信尹と寛永の三筆の一人である。
京都の代々刀剣の鑑定、磨き、浄拭を家職とした本阿弥家に生まれる。

刀剣鑑定とは
その刀は本物か偽物か、どれほどの価値があるのか鑑定することです。
刀剣鑑定がいつ頃から行われていたかは不明で延喜式(967年施行)(※)には刀剣の製作についての注意の条がみえ、さらに『増鏡(ますかがみ)』という歴史物語(1376年までに成立)の後鳥羽院の項に鑑定の専門家を指して「道のもの」と記され、この言葉が明確に記されている事から鑑定する行為によって、一家が成立していた存在が浮びます。

(※)延喜式
平安中期の律令の施行細則。50巻。905年(延喜5)醍醐天皇の命により藤原時平らが編修を始め後、藤原忠平らにより927年完成。施行は967年。弘仁式(40巻)・貞観式を踏まえて編まれたものでのちの律令政治の基本法となった。『続日本紀』『三代実録』『続日本後記』などで駅の廃止選定が記載されていて、全体像が『延喜式』で記されている。


  亀岡産中砥石

大平鉱山コッパ
  天然砥石の採掘作業の歴史
上記のように京都天然砥石の歴史を説明しておりますが、発掘作業について詳しい資料等は少なく
おそらく、金山、銀山、銅山の鉱山の発掘作業と同じように述べられております。

何キロもの道のりを運び人といわれる人達が何10キロもの重い作業道具や採掘された砥石を運んだそうです。坑口までの道は獣道のような細く険しい道のりで、その時代にはもちろん電灯もなく貝殻に油を入れて火を灯しちょうちんのようにし、荷物を運んだと言われています。

[発掘作業]

<石口>採石頭、発破方、石打ち <荒人>採石の補助人、台車押し、材料運び
<引方>2人1組。ツルノコ引き <仕込み>新坑口調査、坑道拡進
<道具方>道具の鍛冶、のこぎりの目立て <普請方>土木作業
<機械方>機械類の整備 <水番>坑内の水かき作業


 友子制度
鉱夫の師弟関係から成り立っていた集団で、組合のようなもの。
江戸時代から存在したと言われている。鉱夫の仲間組織は日本の鉱山業では、友子(ともこ)と呼ばれていた。
友子(ともこ)と聞けば女の人の名前と思いつきますが、鉱山の資料や歴史に興味ある人は、聞いたことがあると思います。

さて、友子とは一体何かとは、一般的には知られていません。日本の労働史や歴史の研究者や評論家でさえ知っている人は少なく日本の発掘作業の歴史の中で、歴史的存在ではあるが、忘れさられてしまった存在でもある。 この組織は、第二次大戦中に消滅したが、この組織の存在により鉱山業の発展と近代化に幅広く貢献したのであった。

昭和初期頃には、砥石山の最盛期でした。この頃の物価の例が、米一升35銭、大工さんの日当が2円
砥石山の作業の日当が4〜6円と高額であったため、色街で羽振りよく飲んで遊んで、よくモテたそうです。
また、ある資料によると鉱山の作業場に博打場を設け仕事終了から朝まで博打をしていた人達もいたそうです。

 砥石山での抗争
尾根が境界線の砥石山ではこう脈をめぐって境界争いも頻繁に起こった。
その時は、夜昼関係なく坑道拡進に人員総出で作業に挑んだそうです。京都の砥石山でもその出来事は多く資料として残されています。

 

鉱山経営について
鎌倉から徳川幕末までは、各時代の幕府や藩営であった。
明治初め頃から会社組織による経営となっていく。
その頃から採掘作業等は、従来の手堀作業から西洋式の機械や道具の取り入れにより、大きな転換となる。

幕末1863年には、わが国初の坑口を掘るためのアメリカ式の発破試験を行っており、明治に入ってからは、削岩機やダイナマイトによる坑道の拡進技術の発展により鉱山が急成長していきました。
また、技術の発展に伴い、水力発電所や道路建設なども次々と近代的に建設業も発展していった。
明治中期から大正、昭和初期にかけて鉱山全盛期となる。
砥石山も技術の発展により同じく全盛期を迎えた。


採掘作業の歴史
    鎌倉〜室町〜江戸〜明治・大正 明治維新〜現在
  鉱山作業    
  道具・採掘物の運搬 徒歩 車・ロープーウェイ・リフト・木馬
  坑口堀・坑道拡進 手堀(つるはし・スコップ) ダイナマイト・パワーシャベル・削岩機
  採掘作業 手堀(たがね・ノミ・ハンマー・のこぎり・ナタ) 削岩機・電動のこぎり・手堀
  坑内照明 オイルランプ 電灯照明・発電機
  坑道運搬 徒歩・木馬 トロッコ・台車・車
  作業の歴史でも解るように機械導入により近代化されたのですが坑内作業は危険で過酷な労働となり人手不足のうえ良質の天然砥石が採れる山が減少したため近年コスト高となり天然砥石とは貴重な物となり、高価な商品となります。
天然砥石の中にはもうこの世に存在していないであろうと言われている産地のある種類のものがあり、
それが、たまたま友人から貰った物の中にあったりする例もしばしばあるそうです。というのも、天然砥石の価値というものは資料の少なさや存在感の薄さなどで特に高価な物として扱われていないためです。
長さ20cm幅10cm厚み4cm位の大きさで、国産高級車と同じ価格の物もたくさんあります。
 

 
 
        天然砥石TOP 産地と種類 歴史 天然砥石と堺和庖丁

  ※この商品に関してのお問い合わせは
info@houcho.com
人造砥石 産地取材


和食ナビ 本場・堺より
庖丁どっとこむ《包丁》